迷ったときには 〜" 自分は何が与えられるか "という視点 〜
1年半程前から 朝活、勉強会、セミナー などの
社外の方々と交流する場によく参加するようになりました。
イベントによって参加しようか迷うときがあるのですが、
そんなときこそ
"自分はその場で何を与えられるだろうか?"
を参加を決める際の判断基準として、思い浮かべるようになりました。
結果、迷うことがなくなった訳ではありません。が、
「何を与えられるか?」
というマインドでいた方が得るものが大きい
という事を実感しています。
僕が感じるそのメリットは次の3つです。
① 考えを巡らせる事自体が楽しい
② 観察する視点が増える
③ "その場"の質が高まる
では順にお伝えしていきます。
① 考えを巡らせる事自体が楽しい
今まで、その場に参加したいなと思ったときに
求めるもの(快楽、刺激、知識、出会い etc)が得られるかどうか
という欲求が中心にありました。
別に、この事が悪いとは思いません。
むしろ、そのような欲求があるのは自然な事だと思います。
ただ、「自分がその場で与えられるものがあるだろうか?」
と考えを巡らせる事により、今まで出てこなかった発想が出てきて
それ自体が僕にとっては新鮮で面白いなと思いました。
「何かいい事考えてる風じゃん、俺」
という密かな自己満足もあります(笑)
② 観察する視点が増える
"何を与えられるか?"という問いを立てることにより
参加した際に、観察する視点もかわってきます。
「あの人はああやって気付きを与えてるんだ」
「今の発言で場を和んだな」
その際、
「あの人みたいに自分は与えられっこない」
「自分にそんな価値はない」
と他人と比較し萎縮しまう人もいるかもしれませんが、
シェアしてみないと何が価値になるかわからない
ものです。
ほんの小さな事からでいいと思います。
例えば、、、
<思いつき与えるリスト>
・自分の気付きや感想をシェアする
・自分のプチ成功体験&失敗談を話す
・読んで面白かった/タメになった本を紹介する
・オススメの人を紹介する
・面白かったイベントやサイトの情報をシェアする
・最初の発表者に名乗り出て、以降の人を楽にさせる
・自分のテヘペロ体験を話し、場を和ませる
・緊張してそうな人にこちらから話掛けてみる
・「質問ある人いますか?」と言われても誰も名乗りでないので、なんか質問してみる
etc
何だか偉そうに語っていますが、今の自分が
天才経営者やカリスマ講師ばりの気付きを
与えられることを期待してません。
そして、ただの開き直りでもありません(のはず)。
伝えたいのは
自分が息を吸って吐くように自然にやってることが
他人にとっては価値のあることであったりする
と言う事です。
もっと言えば、
「あなたに会えて良かった」
とあなたの存在そのものが誰かを癒したり、勇気づけたりするもんです。
③ "その場"の質が高まる
"何を与えられるか?"という視点を持つと、
自分が "与えたい" と思う『 居心地のいい場所 』
を自然と選ぶようになると思います。
今の自分にとって一番居心地のいい場所 ☆『ミッション朝活』
そして、そういう気持ちを持つ人のもとには、
同じようなマインドの人が集まってくるでしょう。
奥田浩美さんは著書『ワクワクすることだけ、やればいい!』の中で
次のように述べています。
与えることができる人、そういう人のことを指して、
「生命エネルギーがあふれる人」という表現をよく使います。
生命エネルギーがあふれる人の周囲には多くの人が集まります。(p.208)
Amazon.co.jp: ワクワクすることだけ、やればいい!: 奥田 浩美: 本
同じような与える視点を持った
「生命エネルギーあふれる人」が集うコミュニティーは
相乗効果をもたらしていくに違いないです。
同じ方向を目指す人達が集うコミュニティを作れば、
「より早く・より遠くへ行ける」のではないかと思っています。(p.211)
♢ まとめ
「 "与える"って何かハードル高くない? 」
って思う方もいるかもしれません。
繰り返しになりますが、些細な事で構わないし
まずは
" 自分がその場で何が与えられるだろうか? "
という問いを自分自身に立てること
が大事だと思います。
" 自分探しの旅 " よりも " 自分が何を与えられるか探しの旅 "
に出たほうが楽しそう☆
そんな風に思った5月のある日。